状況を受け入れ、信じる心を強く持ち、前に進んで行きましょう

アンマ日本の被災地を訪れる
7月25日

写真アンマの東京プログラムには、東日本大震災の被災地からも、多くの人が慰めと助言を求めてやってきました。アンマの胸で悲しい思いを打ち明けながら涙を流した人が、何人もいました。放射能の脅威への心配や不安も語られました。自分たちの子どもやそのまた子供たちが、放射能や次々と日本を襲う災害の中で大丈夫かどうかが気がかりで知りたいという人たちもいました。アンマはこうした悲しみと痛みを目のあたりにして、被災地と避難所を訪問することに決めました。

 7月25日朝5時半、東京でのプログラムが終了すると直ちに、アンマはそこからおよそ500キロ離れた多賀城市総合体育館に直行しました。そこには、帰る家を失った人々が一時避難しています。

 到着するとアンマはまず内部を案内され、200人以上の人々が、体育館の床を低い段ボールで仕切った小さな区画に一時的に生活している様子を見学しました。

 そしてアンマはホールに集まった避難者の人々にこう話しました。

 「皆さんは、まだ衝撃から抜けられないほど大変な苦難を経験しました。この悲しみは、言葉では慰められるものではありません。アンマはただ、皆さんが受けている悲しみをともにしたいと思ってここにいるのです。

 人生では、受け入れる以外に何もなすすべがないようなことが、時としてあります。今は、まさにそのような状況の一つです。

 もしも音楽家に、その音楽はどこからやってくるのかと尋ねれば、その人はおそらく、それは自分の指から、あるいは喉から、あるいは胸からだと答えるでしょう。しかし、手術して指を開いても、喉を開いても、胸を開いても、そこに音楽を見つけることはできません。音楽は本当は、どれも超越したところから、やってくるのです。わたしたちは、人生の中で、自分の力の及ぶ領域と、神の恩寵が働く領域を、理解しなくてはいけません。こどもたち、その大いなる力の源を信じ、その恩寵を祈りなさい。

 いろいろな決断がありますが、幸福もまた、決断の一つです。どんなことが起ころうと起こるにまかせ、決意をもって私は幸せでいて、私は勇気に溢れている。自分を信じることを失わず、あるいは神を信じることを失わず、前に進んでいきましょう」

 数分間の沈黙と瞑想のあと、アンマは亡くなった人々への祈りの言葉をホールに人々と唱えました。

 アンマはそれから会場の人々を一人ずつ抱きしめ、慰めました。その抱き寄せる肩に頭を預けながら、皆は悲しみの重荷をアンマの肩に降ろしました。アンマ表情は、人々の悲しみを映し出していました。その人たちの目からは涙が溢れ、アンマの目からも涙がこぼれました。

 そして、避難者たちがすべてを失ったことを知っていたアンマは、少しでも避難所での生活が改善するようにと日用品を贈りました。

写真

 アンマは、津波の被害を受けた七ヶ浜地域も訪れました。そこでは跡形もなく破壊されている場所もあり、また、家々が軒を連ねていた土台だけがわずかに残されている場所もありました。

 太平洋に面した七ヶ浜の浜辺で、アンマは全員に、平和のために、自然の調和のために祈るように呼びかけました。そして平安の祈りの「オーム、シャンティ、シャンティ、シャンティ」を9回、「ローカーハ サマスターハ スキノー バヴァントゥ」を3回、皆を先導しながら唱えました。

 アンマは花束を海に捧げ、裸足でそのままサリーの裾が濡れるのもかまわずに海の中に入ってゆき、そしてまた戻り、海に向かって手をついて深くお辞儀をしました。アンマは立ったまま水平線をしばらく見つめ、全員に花を捧げるよう促しました。

 たくさんのピンク色の花が、全員の平和の祈りとともに、海の中に吸い込まれていきました。

ビデオはこちら:
日本語字幕がつきました(10月3日更新)